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​雨だれの前奏曲

 その夜も書斎に父はいた。扉の陰から中を覗けば、そこはかとない煙草の匂いが鼻腔をかすめ、やがて間もなくマツリ、と低い声がかかる。父の背中は依然として私のほうを向いており、私もまたじつと息をころしているのだが、これだけは何度試みても同じ繰りかえしになるのだった。仄明るい部屋の内には雨の音がこもっている。「また眠れないのか」という、お決まりの台詞には責めるような色もなく、むしろ待っていたかのような響きすらあった。
 今にして思えば、あれは父なりの優しさだったのかもしれない。というのも、私はひどく寝つきの悪い子どもで、こと雨の日の眠りは浅く、夜更けに目を覚ましては単調で物憂げな音が立ちこめるだけの部屋を抜け出し、父のもとへと急いだものだが、ろくに何も広げずただ椅子にかけて微睡む彼を揺り起こしたのもおそらく一度や二度ではない。また、暗く閉ざされた書斎の前で私が立ちすくむ晩にはたいてい、月の光や星明かりが窓辺に降り積んでいたように思われる。

 

 私のいちばんの気に入りは父の膝の上で、そこからは何もかもが広々と見渡せた。壁を埋める本も紙の束も、まるで年季の入った美しい地図の示す大陸か島のように思われた。しかしその日の私はそれらに背を向け、代わりに万年筆をせがんだのだった。父が留守の間、母から教わった文字を披露せねばならないことを、それまですっかり忘れていたにもかかわらず、書斎を充たす紙やインクや煙草の匂いに促されてにわかに思い出したのである。すると父はかすかに笑い、万年筆ではない、もっと先の丸いペンを一本くれた。
「マ、ツ、リ」まだおぼつかない記憶をたぐり寄せるように、一文字綴るたび、私は声に出して読み上げた。「ロ、ウ、ツ、キ」
 ようよう自分の名前を書き上げたあとは、ささやかな期待を胸に宿して、父の反応を待った。ところが予想に反して彼は何も言わなかった。見上げようとすると、大きな手がそれを阻んだ。くしゃりと撫でられる感覚があり、手のひらはあたたかかった。

 父には家族がいたけれど、父と同じ姓をもつ者は一人もいなかったのだと知ったのは、ずいぶん後になってからのことである。その晩の彼はただ私を褒め、また言葉少なに、彼の留守中のことを訊いたのだった。私たちはとりとめもないおしゃべりをして、それは私の瞼の重くなるまで続いた。やがて父に抱きかかえられ、廊下を渡ってゆくとき、雨の細い水音を遠くのほうに聞きながら、私はうまくまわらない口である一つの問いをぶつけた。なぜ父は殆んど家にいないのか――言うまでもなく、まだ眠りたくない私の最後の悪あがきだった。
 直ぐには返事はなかった。後に思えばそれも当たり前のことで、幼い我が儘を差っ引いても、殆んど家にいないというのはあくまでも子どもの言い分であって、当時の父は、たとえそれが十分には叶わなくとも、人並みに家庭での時間をもとうと努めていた。そうしたあたたかな団欒とはおよそ縁のない幼少期を送った父が、私や母との間でそれを実現するためにどれほど心を砕いていたか。雨の夜更けに私を書斎に迎え入れるという習慣自体、その不器用な表れのひとつだったのではないかと思えば、憶測もどこか確からしい形を帯びてくるような心地がする。

 しかし彼はそういった事情には一切触れることなく、少し間をおいてから、次のように切り出した。実をいうと自分は、おまえの父さんである以外に、父親というものをやったことがないのだ、と。「おまえは物足りなく思うだろうし、きっと時間もかかるだろうが、そうさな。もう少し頑張ってみるよ」
 余程年も立っているので、その時の父が本当にその通りに言ったのか記憶もややおぼろげになってはいるが、或いは却ってそれが為めに、彼が平生使わないような言葉を口にしたということが、翳んだ、古びた、しかし強い色に彩られて脳裡に焼き付いている。幼かった私は、その意味をよく飲み込めないながらも顎を引き、ウンと応えた。父の言葉は、文字を覚えるのに難儀したばかりの私の胸に、すんなりと降りてくる類いのものだった。

 父が死んで、沈殿した記憶のなかに父と過ごした懐かしいひとときを探し求めるとき、私は好んでこの夜のことを思い出す。それから一体如何したのか、そのまま何事もなくベッドに戻ったのか、はたまた母に迎えられ、両親とともに眠りについたのかは定かでない。しかしながらその追想には、まるでそれらの一片ずつをつなぎ留めておくかのように、つねに穏やかな雨音が伴っている。

2016.10.31

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